アトリエ・マイルストンブログ

2016年9月12日月曜日

岸田劉生の「麗子像」

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「名作美術館(その189):岸田劉生の麗子像」

 前回の岸田劉生作「切通」に続いて、代表作の一つでもある画家の娘「麗子像」を今回は取り上げました。
「切通」同様、教科書にも定番的に掲載される程の有名な作品なので、今さら感も無きにしも非ずですが・・・。
画家は娘が五歳の時からモデルに取り上げ、多くの肖像を油絵や水彩・コンテと多岐に渡って描き続けました。
その80点にも及ぶ連作は正に圧巻で、その全貌を明らかにするのは困難で、当コーナーでは取り上げません。
そんな中で、もっとも代表的とも言える筆者も大好きな下作品のみを敢えて取り上げました。

 「麗子微笑(青果持テル)」1921(大正10)年、44.2x36.4cm、
キャンバスに油彩、重要文化財、東京国立博物館蔵

一度見たら誰しもが忘れられないインパクトの大きな、時代を超越した傑作に違いありません。

赤いショール姿のおかっぱ頭の切れ長・一重瞼の幼女が暗闇を背に僅かな笑みを浮かべて佇んでいます。
アルカイックな謎の表情を造り出しているその口元は微かに緩み、外部からのらしい光を反射させています。
その黒髪は背景の漆黒に溶け込み、赤い衣装と赤い薄い唇とが、幼女の息吹や体温を感じさせてくれます。
幼女が手にするのは、画面を支配する赤の補色としての緑色、もう一つ命である果実(おそらく柑橘類)です。

筆者が初めてこの作品を見たのはいつだったか定かではありません。おそらく小学校高学年だったかと。
しかし筆者は一目でこの作品の虜となり、その迫真のショールと幼女の表情とに、すっかり魅入られました。
南国育ちの筆者幼少の頃、そんな毛糸のショールや、そんな表情の少女は身近には存在しませんでした。
その現実・浮世離れした少女に、筆者は聖性のみならず、黄泉の国の霊気すら感じ取ってしまったようです。
筆者の遠い記憶では、筆者は一人度々 美術の教科書を取り出し、ページをめくり、この少女を見つめました。
それはけっして恋などの感情ではなく、もっと深い部分から出でる「怖い物見たさ」だったような気がします。
筆者にとってその「怖い物」とは、言うなれば「魂」と言う言葉で表すのが、もっとも適切なのかも知れません。
ここに在るのは写真的写実ではなく「霊的写実」で、小学生の筆者が感じ取った「気」は今も変わりありません。

「内なるものは、外部にこそ宿る」
画家の目とその愛は、迫真的写実性を通して、可視的生命現象に宿る「魂」を凝視していたのかも知れません。
画家の眼前の現実は現世を超え、その奥深く、その遠く、その連なり・繋がりをも絵具に置き換えたようです。

* * *

「ミュージック・ギャラリー(その226)」

今回の当コーナー、前回繋がりでもあるし、同時に上の幼女と言うキーワードでも共通しています。
前回紹介の「島人ぬ宝」で圧巻の歌唱を聞かせた日系ブラジル人少女の二人でしたが、今回はその中の一人、
メリッサ国吉の歌う日本語の歌・第2弾です。なおメリッサちゃんは3世ではなく日系4世だとの事です。
歌の前後のTV特有のバラエティー色でかなりの薄まり感がありますが、歌唱そのものは魅力的です。
暗示的で深い内容の歌詞、その意味は理解していないにせよ、その健気さが前回同様、胸を打ちます。

「ハナミズキ」、メリッサ国吉(ブラジルの人気TV番組「ハウル・ジル」での収録)
"Hanamizuki",Mellisa Kuniyoshi, In TV Program"Raul Gill",Brazil, 2013

2週連続となった日系ブラジル人・メリッサちゃんの素直ながらシャクリ等を効かせた歌唱が良い感じですね。
前回の「島人ぬ宝」をデュエットで歌った相方の平良カレンちゃんの「帰って来いよ」の動画もまた圧巻です。
興味のある方はこちらも聞いてみて下さい。

ちなみに「ハナミズキ」の木、戦前日本がアメリカに桜の木を送った時に、その返礼として贈られた木だとの事。
日本人が「花見好き」なことにちなんでハナミズキを贈られたのではないか、との推測も一部にはあるとの事。
もし偶然だとしても面白いエピソードですね。


原作者・一青窈さんの「ハナミズキ」は、2011年・同時多発テロの9・11の際に触発されて作った詞との事。
あれから早15年、憎しみの連鎖は、残念にも大きく広く地球上に連鎖・拡散・拡大してしまいました。
戦争(テロ)を断ち切れない人間の根源的な業(ごう)が果てる日は、未来永劫に無いのでしょうか?
「国家・国境」や「民族」「宗教」などが未来永劫に渡って果てる日は来ないのでしょうか?
憎しみに対置し得る「愛」で、地上が満ちる日が訪れるのを望むのは夢物語でしょうか?

By 講師T