アトリエ・マイルストンブログ

2016年7月13日水曜日

明治の洋画ー12、吉田 博

水曜日・晴れ

「名作美術館(その180):明治の洋画家-12、吉田 博の静謐・木版画」

おそらく、この画家の名前を知らない人は結構 多いのではないかと思います。
実は筆者もまた20年ほど前には全然知らなくて、外国人の口から初めて耳にした名前でした。
「エエーッ、こんな有名な人も知らないの? 同じ日本人なのにぃ~!?」
我が家を拠点に2ヶ月ほど滞在し、版画を製作したそのスイス人版画家に、心底驚かれてしまいました。

「ヒロシ・ヨシダ」
初めて教えられたその木版画家は世界的にも有名な日本人で、美しい木版画を作り続けた人だと知りました。
その人、吉田博は国際的には著名で、国内に於いてはあまり有名ではない人物と知り、その作品も知りました。
古今東西の美術家の名前や作品を大方知っていたつもりの筆者が、外国からの客人に教えてもらった美の世界です。

端正で静謐な光の世界、ご堪能ください。
( 出典先に詳細データなく画題等不明です。画面下記述も画題ではなく、風景の場所です。「」付きは画題。)
( 注2:下作品には昭和初期に製作した作品も多数含まれています。あらかじめ、ご了承ください。)


左右、同作品ですが、随分と趣が違います。

下は3点は富士山。


「朝日」

利尻山・北海道

隅田川だったか?

左の余白部には「神橋」との画題が。

「スフィンクス」

中国
「ラングーンの金塔」(旧ビルマ)

「カンチェンジャンガ」(ネパール)

明治・大正・昭和と生きた画家は、国内では「知る人ぞ知る」ような存在です。
明治9年、画家は旧久留米藩士の子として生まれ、その才能と行動力で独自の作風を築き上げました。

明治時代、早くも画壇なる権威らしきものが形成され、その中心・頂点が教育界と中央の美術団体でした。
当コーナーでも紹介の黒田清輝が一大派閥を形成・君臨し、他の画家達は隅や過去へと追いやられました。
吉田博もまた最大勢力より「旧派」のレッテルを貼られ、中央からは遠ざけられてしまいました。
しかし画家は自力で水彩画を携えて渡米、その美しい作品群は正当な評価を得、大成功を収めました。
その後も画家は中央勢力に組することなく、海外での評価・販売力を基に独自の道を歩み続けました。
後年、画家は版元・渡辺庄三郎と出会い、以後、木版画の世界に没頭、欧米では高い評価を得ました。
その静謐な作風とは裏腹に画家の行動力は強靭で、国内外の登山や世界各地を精力的に回ったとの事。
画家の並々ならぬ「才能」と「行動力」が、画家を歴史の闇へと追いやられることなく、世界で輝かせました。

画家の世界もまた、一般世間同様の過酷で非情な「宿命・組み紐」から逃れ脱するのは至難の業です。
「捨てる神あれば、拾う神あり」
フェルメールも伊藤若冲も、そして吉田博も「我が道を行く」で輝き、真の審美眼の目で救われたのです。

:*

NHK教育TV・日曜美術館で今週「吉田博」を取り上げていました。来週夜に再放送があるかも知れません。
是非ともご覧になって下さい。要チェックです。

By 講師T

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「アトリエ、臨時休業日のお知らせ」

来たる7月16(土)から18日(月・海の日)までの3日間、アトリエはお休みとさせていただきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。