アトリエ・マイルストンブログ

2016年1月18日月曜日

女性絵師2人の明暗法絵画

月曜日・雨

厚木は雨で済みましたが、関東一円・都内・横浜など大雪に見舞われ、終日混乱しました。
但し市内でも一部では降雪があり、アトリエ背後の山や大山の裾でも積雪が見られました。

まるで水墨画のような積雪姿の大山手前の裾山の様相
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「名作美術館(その155)」

第1部:「女浮世絵師、葛飾 応為(おうい)の明暗法絵画」

このコーナーでも幾度か取り上げた葛飾北斎の娘(三女で本名は栄(えい))・応為の肉筆画二点です。
応為は世界にその名を轟かせる天才素描家・北斎の名声の影で、世間的には無名に近い希代の浮世絵師です。
その巨匠・北斎をして「美人画だけは娘に負ける」と言わしめたほどの腕前で、北斎の代筆も行ったとの事です。
画号の「応為」は、父であり師匠である北斎がいつも「オーイ!」と読んでいたから命名したと伝えられています。
江戸の絵師たちは洒落者揃いで、ちなみに北斎は「阿保くさい」、写楽が「シャラクサイ」から来ているとの事です。

その美人画等はまたの機会に譲って、筆者が注目するのはその類まれな先例のない明暗法による描法です。
浮世絵は線による形、色による面割りが主体なのですが、水墨画の濃淡を陵駕した深い闇の表現が稀有です。

西洋美術に於いてはレンブラント、カラヴァッジョ、ラトゥール等が明暗法を用いて劇的な表現に成功しています。
が、その当時の江戸後期に於いて、これだけの大胆で独自な表現を使用・開花させたのは応為ただ一人です。
そのドラマ性、光と影の演出・気配など、上述の西洋の大画家たちにも匹敵する世界は見事と言う他ありません。

「夜桜美人之図」

「吉原格子先之図」または「廊中格子先之図」、大田記念美術館

上の劇的な「夜桜」、見所が満載で、石灯篭の灯を頼りに短冊状の書状に文をしたためているように見えます。
襟元や袖口・裾などの緋色襦袢から察すると女郎のようで、文はさしずめ秘密の恋文と言ったところでしょうか。
上下に配置された二基の灯篭の灯が満開の桜の花を照らし、傍らにはツワブキらしい庭の下草も見えます。
また特に見逃せないのが夜空の表現で、その天空にはきらめく星々の光も色違いで、ちりばめられています。
このような表現方法も他では見たことのない斬新なもので、応為独自の革新的な作画表現だと思われます。

下の大胆な明暗法を駆使した作品、江戸の代表的な花街・吉原の遊郭の室内を描いた希少な肉筆画です。
格子の向こうの室内で艶やかな衣装・化粧に身を包んだ女郎たちの様子が見え隠れしている構成は絶妙です。
提灯や行灯などの燈明の仄暗い光で浮かぶ男たちの後姿のシルエットの見えざる視線をも感じてしまいます。
格子越しに漏れ漂う女郎たちの頭髪の椿油や化粧の香料なども匂っていそうで、淫靡な江戸の夜が秀逸です。
女浮世絵師の応為、当作品を描くためには実際の遊郭の取材も行ったはずで、その緻密なリアルさは絶品です。 

一作ずつ取り上げても記すことの多い両者、いつまでも見飽きることのないドラマ性に富んだ江戸の浮世(夜)です。

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「名作美術館(その156)」
「第二部:砂粒が産み出すドラマな明暗法絵画」

「ミュージック・ギャラリー(その183)」

上記の葛飾応為の二作品だけでも名作なのですが、更に才気溢れた砂絵アートも併せてを紹介します。
シンガー・ソングライターのエアー感ある歌もさることながら、バックで展開するドラマチックな明暗画像が秀逸です。

阿部 芙蓉美(ふゆみ)、「空に舞う」
サンド・アート:クセニヤ・シモノヴァ(ウクライナ)
その明暗が織りなす一期一会な展開・刹那世界は美しく、同時にある種の哀しみをも感じてしまいます。
セピア色でどんどん移ろいゆくイメージ世界、正に職人技で「絵師」の名称にふさわしい仕事ぶりです。

幼い頃に見た影絵のような薄暗さが魅力的で、ハイテクな現代が失ってしまったノスタルジーが素敵です。
筆者の幼年時代に見た影絵と言うのは、幻灯機と言う今では死語のような原始的な映写機器ででした。
現在、脚光を浴びているプロジェクション・マッピングの古代版で、白熱灯とレンズの仄暗さが幻想的でした。
絵師はウクライナの若き女性で、ロシア・アニメの大家ユーリ・ノルシュテインに通ずる切ない抒情が快感です。

先般、アトリエもLEDに照明灯を換えたのですが、明るいながらもその冷た過ぎる色には違和感を感じています。
筆者が生まれ育った昭和や20世紀の白熱灯の暗めな暖かさを懐かしむのはただの懐古趣味なのでしょうか?



今回は「明暗」と言うキーワードにこだわって、両コーナーを構成しました。
「明るいのが善」「明るければ良い」と言う、わが国の戦後的な価値観、今後もずっと続くのでしょうか?
仄暗さの中にある暗示的な情報・情緒もそのまま感受、楽しむこともまた風流(これまた死語?)です。

By 講師T