アトリエ・マイルストンブログ

2021年10月31日日曜日

アトリエ祝再開、一部閉鎖 😢

相当 大幅な間隔が空いてしまった今回のブログ、大切なお知らせがあります。

( そのお知らせの内容が重く、ブログアップが長期に渡って出来ませんでした。😢)


随分と間合いが空いたこのブログ・アップ、その間に「自民党総裁選」も終了し、岸田内閣が誕生、

しかも国会も開催されるや否や、あっと言う間に衆議院解散が決定、国政選挙へ突入となりました。

(後日記:何と本日がその衆議院議員選挙となってしまいました。(-_-;)


まためでたいながらも謎の コロナ感染減少が進み、一気に「緊急事態宣言」が全国的に解かれました。

この全国的な急速減少は専門家でも首をかしげる程の原因不明で、危惧された五輪後の大感染爆発もなく、

朗報には違いありませんが、全国民的な気の緩みでの第6波の感染再拡大にも気をつけなければなりません。

そんな訳で、

国内政治や社会問題などの時事ネタ、このブログ上ではもう何も記すまい、とここ最近考えています。


* * *


当ブログ、今般のコロナ禍で緊急事態宣言中の基本は「お休み中」でしたが、アトリエも再開が決定。

早速、先週土曜日(10/9)にその第1号として、キッズ・クラスのAKちゃん(小4)が久々にやってきました。

AKちゃん、「アトリエお休み中」の間にすっかり大きくなって、観察力や筆致にも著しい成長がありました。

季節柄にふさわしく選ばれて描かれた「桔梗の花」、美しい青紫色のシルエットとなって紙面に現れました。

次回の仕上げが楽しみです。

と、ここで迎えにやって来たAKちゃんママに、告げなければならない大事なお知らせがありました。


それは・・・、

アトリエ再開に際しての「キッズ・クラス」の今後の閉鎖決断でした。


心苦しい辛い申し入れでしたが、当方の今後の選択に保護者様のご理解をいただくことが出来ました。

最初はおぼつかない筆使いや形取りが回を重ねる度に上達していく子を見るのは指導者冥利にも尽き、

描いたり造ったりすることに喜びを見い出す子供たちに接することは筆者自身の喜びでもありました。


実は「閉鎖」に関しては夏休み前の6月から既に決断しており、例年の夏休み宿題需要の増加前でした。

その夏休み直前には10件ほどの申し込みがあり、今回の「緊急事態宣言」下でのアトリエのお休み中を告げ、

今後の閉鎖決定ゆえの新規の申し込みをお断りし、また成人の新たな申し込みも4件 断ってしまいました。


但し、

キッズ・クラスに関しては、お休み前に作品製作途中だった生徒には、完成までの授業を再開いたします。

またチケット購入済の生徒さんは授業再開をするか、又は残りのチケット分をお支払いさせていただきます。

この度のご報告・告知が遅れてしまい大変申し訳ありませんが、ご理解の程どうぞよろしくお願いいたします。


「アトリエ、キッズ・クラス閉鎖の理由」


この度の世界的なコロナ禍に於いて、人生観が大きく変わった方々がそれこそ世界中の至る所に存在しています。

楽天的な性格の筆者もまたその例外ではなく、但し他の人々のように大きく変わったわけではありませんが、

もしも筆者自身がコロナ感染し重症化し命を落とすことも想定し、その考え・前提が今回の決断の契機となり、

筆者に残された人生が短いことを自覚し、長い間 保留にしていた問題に対処しようとの思いに至りました。

美術教室の指導者でありながらも筆者の新作3点は3年前で、しかも完成寸前の未完状態で埃を被っています。

そして長年に渡って心の中で温めてきた想像上の絵画群を、今この時期に製作に着手しようと思い立ちました。

実は既にその制作に着手済みで、そして美術教室での指導時間との兼ね合いが困難なことが明確になりました。

そこで心苦しい限りですが、ここは「今しかない!」と美術教室キッズ・クラス再開断念の決断に至りました。

アトリエに通うことを楽しみにしていた子供らの輝く笑顔が思い浮かび、幾度も思い直しましたのも事実です。

一抹の寂しさも禁じ得ませんが、ここで筆者の「賽(サイコロ)は投げられた」の決断をさせていただきました。

非常に申し訳ありませんが、皆様のご理解をいただければ幸いです。


また手前勝手な要望ですが、今後も今まで同様に何らかの形でご縁を繫いでいただければ嬉しい限りです。

みんなの成長を心より楽しみにしている筆者の願いです。

時間があればいつでもお寄りください。絵画も不定期・短時間ながら、見させていただければ嬉しいです。


長い間、ご訪問くださり、ありがとうございます。

皆さんの笑顔とその作品は、筆者の心の宝物です。

今後とも どうぞよろしくお願いいたします。


2021年10月31日

アトリエ・マイルストン主宰:当真 英樹

 😢


* * *


「別れ」はいつも辛く悲しいものですが、僅かながらも「再会」の喜びもありました。

筆者がアトリエを始めた頃に通ってくれていたSY君が、チョー久々にやって来ました。

小学生だったSY君も何と大学4年生となり、来春の就職も決まっているとのことです。

就活も卒論も一段落し、来春までに「油絵の写実技法」を学びたいとの事での復帰です。

すっかり成長したSY君の凛々しい姿を見て、筆者 何だか浦島太郎のような気分でした。


もう一人、やはり学童クラブとアトリエに通っていたMIちゃんもチョー久々にやって来ました。

小学生だったMIちゃんもまた高校3年生となり、来春は美大受験に挑戦するとのことです。

美大受験専門の塾にも通っているそうですが、自由に描く絵も始めたいとのことでの復帰です。

すっかり成長したMIちゃんのお嬢様ぶりを見て、筆者もまた自らの高齢ぶりを自覚しました。

(-_-;)


何はともあれ、「サイ(コロ)は投げてしまいました」。

皆様との更なる「ご縁」繋がりを願いつつも、もう前に進むしかありません。

画像投稿不可な当アトリエ・ブログもどのようになるのか今は分かりませんが、

リニューアルして、成人クラスや筆者の新作もアップ出来ればと考えております。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

_(._.)_

<(_ _)>


By T講師


* * * * * *


後日、追加しました。

「ミュージック・ギャラリー(その447)」

「ザ・ビートルズ、若かりし日々、その表情が今ここに!」


1969年にマイケル・リンゼイ・ホッグ監督が撮影した映画「レット・イット・ビー」のフィルムを基に、

今回ピーター・ジャクソン監督が未公開フィルムを使用して再編集した世界同時公開の映画です。但し、

今回の世界的コロナ感染禍で劇場公開が断念され、今年になってYouTubeにて世界同時配信化が決定!

この度の予告編動画がYouTube上に投稿されて、彼らの眩しすぎる雄姿を垣間見ることが出来ました。

一言で言えば、「みんな驚くほど若い!」

ポールも、故ジョンも、故ジョージも、リンゴも、そして故ジョージ・マーチンも!

そしてヨーコも、リンダも、パティ―も、モーリンも!

筆者が高校生の頃にリアルタイムで映画を見た際は、みんなヒゲ面でおっさんのように感じたものでした。


アルバム発売と映画公開当時が70年初頭だったので、かれこれ四半世紀の何と50年!

それだけ筆者らが歳月を重ねてきた証しであり、また著作権問題で封印されてきた証しでもあります。


とにもかくにも、上記のことで少々落ち込んでいる昨今の筆者にとっては、励みの活力となりました。

当時公開された映画「LET IT BE」の重苦しい空気とはまた異なる印象の活き活きとした彼らがいます。

彼らの貴重なお宝雄姿、まずはご覧あれ!


「ザ・ビートルズ:Get Back」|予告編|Disney+ (ディズニープラス)



「ザ・ビートルズ:Get Back」|先行特別映像|Disney+ (ディズニープラス)


筆者が小学生の頃、不良少年少女たちのアイドルだった彼ら。その彼らの曲で踊ったモンキー・ダンス。

来日公演ではPTAや右翼から糾弾され、日本中に彼らの存在が社会問題としてクローズアップされました。

ギターやドラムやバンドに目覚めた中学生時代、変声期の仲間らには歌い難かったハイノート・ボイス。

ボートハウスのジュークボックスでは彼らの「ロックンロール・ミュージック」がダントツNo,1でした。

彼らのシングル盤やコンパクト盤レコードも超お馴染みで、多くの男女友人間で貸し借り しきりでした。

そしてバンド漬けだった高校時代、アイドルからアーチストへと変貌した彼らの音楽は驚愕ものでした。

「ラバーソウル」「リボルバー」「ホワイト・アルバム」それら全てが、米国勢には無い夢想世界でした。

「アビー・ロード」や「レット・イット・ビー」等のLP写真を凝視し、その音楽に日々酔い痴れました。

ジョンとヨーコの平和運動とその行動力に共鳴と違和感を同時に覚えつつ、解散の一因報は衝撃的でした。

そして1980年、復活を果たした矢先のジョンが凶弾に倒れ・・・。

様々なことが去来します・・・。



とにかく、この「GET BACK」

今月末の11月25日、26日、27日の3日間、世界同時配信されるとのこと!

今から、もうワクワクです!

とりあえず、アップ!


By T講師



2021年6月27日日曜日

遅ればせ「あいみょん」再び

 只今、テスト・アップ中


下の動画にブロックが施されているかのチェックのため、仮アップしてみました。

実際にアップしてみないと、動画再生の可否が分からないためです。

めでたく再生可能であれば、編集を続行します。

御本人のオフィシャルなので無理かも・・・。

ではテスト・アップ、GO!

(-_-;)



「ミュージック・ギャラリー(その438)」

遅ればせ「あいみょん」再び


あいみょん 、「 さよならの今日に 」ライブ

【AIMYON TOUR 2020 、「ミート・ミート」/ IN SAITAMA SUPER ARENA】


やったー!

再生可だ!!

あいみょん、太っ腹!!


*

当ブログの前々回に、遅ればせながら初登場にてページを飾ってくれた”あいみょん”の早くも再登場です。

60年代ロックが基本的バック・グラウンドの筆者にとって、このシンガーには何の違和感も覚えません。

それどころか、その対極とも言える強力な中毒性で、彼女の歌いっぷりやバック演奏にハマっています。

虚飾を捨て去ったパフォーマンスに年甲斐も無く夜毎 鳥肌立て、昼に大音量再生しては浸かっています。

日頃、国内のミュージシャンに関しては辛口な筆者ですが(上から目線御免)、彼女は別格中の別格です。

前回同様、解説などの言葉は一切野暮の一言、彼女のほとばしる才能、とくと ご賞味あれ !!!


(ライブ音源録音も秀逸なので、是非 外部スピーカーやヘッドフォン再生にて迫力ご堪能ください。)


後日、歌詞追加

「さよならの今日に」 作詞・作曲・歌唱:あいみょん

(一部、ネット上の歌詞と異なりましたので、ライブに合わせました。)


泥まみれの過去が 纏わりつく日々だ
鈍くなった足で ゴールのない山を登る

恋い焦がれたこと 夢に起きてまた夢見たこと
これまでを切り取るように 頭の中を巡る

明日が来ることは解る 昨日が戻らないのも知ってる
できればやり直したいけれど ,切り捨てた何かで今があるなら
「もう一度」だなんて そんな我儘 言わないでおくけどな
それでもどこかで今も望んでいるものがある
不滅のロックスター,永遠のキングは明日をどう生きただろうか

傷だらけの空がやけに染みていく今日
鈍くなった足で 河川敷をなぞり歩く

涙がでることは解る,気持ちが戻らないのも知ってる
それなら 辞めてしまいたいけれど,残された何かで今が変わるなら
「もう一度」だなんて,そんな情けは言わないでおくけどな
それでもどこかで今も望んでいる事がある
伝説のプロボクサー,謎に満ちたあいつは
明日をどう乗り越えたかな,吹く風にまかせ 目を閉じて踊れ
甘いカクテル色の空を仰げ,そんな声が聞こえる

切り捨てた何かを拾い集めても,もう二度と戻る事はないと
解っているのにな,切り捨てた何かで今があるなら
「もう一度」だなんて,そんな我儘 言わないでおくけどな
それでもどこかで今も望んでいるものがある
不滅のロックスター,永遠のキングは明日をどう生きただろうか

伝説のプロボクサー,謎に満ちたあいつは
明日をどう乗り越えたかな


*


「カッコいい~ !!!  あっぱれ~ !!!」

岩塩や島マース等の粗塩に粗びきコショーだけのステーキ、腰のあるぶっとい素うどん、素朴・直球メシ万歳!

「ドラム、俺が代わりに ブッ叩きたーいッ!(筆者の影の声)

先程、編集続行と記しましたが、これで止めておきます。後は蛇足になってしまいそう・・・。

「今回はこれにて、もう充分でしょ?」

(*^^)v


By (未だワクチン接種も受けられずと嘆く、立派な高齢者となった) T講師

(;´д`)トホホ

2021年6月23日水曜日

76年目の「沖縄慰霊の日」

 「76年目の沖縄慰霊の日」


6月23日は、故郷沖縄の公休日「沖縄慰霊の日」です。

遠き過去、筆者が物心ついた頃には、戦後20年前後との報道でした。

とは言え、筆者の生まれ育った那覇の街でも一歩丘陵地帯や草むらに分け入ると、そこには戦場の痕跡が在りました。

夥しい数の大小様々な形状を留めた赤錆びた弾丸、時に収集され損ねて風化が進んだ小さな頭骨や遺骨の破片・・・。

海岸の砂浜には大量の黒色火薬の粒、また唯一残った母校の中学校の校舎壁面には機銃掃射の弾痕が並んでいました。

近所の自然壕の中にはこれまた眼鏡や焼け残った軍靴の靴底や欠けた茶碗等、ありとあらゆる種類の生活道具の遺品群。

ある暑い夏の日、米軍がトラックでやって来て、その壕から大きな大砲砲弾やボロボロの鉄の塊りを回収していました。

汗グショグショで真っ赤になった米兵らの顔からは大量の汗が吹き出し、黒人兵の顔では大きな目が充血していました。

筆者が小学校低学年の時のことです。

あれから半世紀以上の時が経過するも、未だに不発弾は故郷のあらゆる場所に存在し、全ての回収には今世紀末までかかるとの事。

ごく最近の帰郷時でさえも、那覇市内の近所の工事現場で不発弾が見つかり、回収までの間に避難を強いられたことも度々です。


戦後76年、収集されなかった遺骨もまた然り・・・。故郷の市街地や野山や海中にさえ、人知れず朽ちてゆく人生の終焉・・・。

またその永眠された場所さえ知ることもなく、悲しみと悔いとを抱え込みながらも日々老いさらばえてゆく肉親縁者たち・・・。

「平和」は尊く「戦争」は醜く、決して繰り返してはいけない愚行ではあれど、我々人類が超越できない人類固有の業でもあり、

過去から現在へと繋がる もつれ乱れた組紐をしかと凝視し、紐解き、無念にも先立たれた無辜・無数の命や人生に想いを馳せ、

残された遺族らの現世での癒しと、未来の平安と念願の再会を祈るしかありません。

合掌


* * *


「ミュージック・ギャラリー(その437)」

「鎮魂歌」


今回は以前にもお借りしてきたことがある動画を2編、取り上げました。

最初は作詞作曲者御本人の歌唱で、2番目もやはり以前お借りしたことのある筆者が最も好きなカバーです。

それぞれの良さがあり、御本人バージョンは何気ない自然の風景が美しいと感じられる動画になっています。

魂を揺さぶり、また全てを超越して鎮まる魂の言葉のような含蓄ある深い詞と共に、ご視聴ご鑑賞ください。

澄み渡るような歌声が、平和な世の中空に溶け込んでゆきます。


「いつも何度でも」、作曲:木村弓、作詞・歌唱 / 覚 和歌子 (Music Video)


( 後日追記:作曲者の名前を間違っていました。ご容赦。)
何の変哲もない野や山河にも過去の傷跡があったりします。
じっと見つめてると、現在の様相の中に過去にて刻まれた人の営みの時が沈黙の内に見えて来たりする瞬間があります。
そして、
生活の場である田畑や住居地帯を抜け、一歩墓地へと足を踏み入れたなら、そこには過去の人々の生きた証しが・・・。
信州のとある丘の村を見下ろす名もなき古い墓地の墓標には、筆者の故郷で命を落とした若干20歳の名も刻まれ・・・。
その「魂」は今いずこ・・・。


2番手は、筆者一番のお気に入り・押し(推し)のカバー曲です。
この淡々とした低めの歌唱、以前にも2度ほどお借りしたost version動画が削除され、落胆していました。
今回、検索中に偶然発見!初めて歌唱者の名前をも知ることが出来、喜び勇んでの静止画版での再登場です。

「いつも何度でも」カバー、歌唱 / 竹中絵里



感情を抑えた淡々とした歌唱が端正で、詞の内容に合致しているような気がします。
バック演奏もまた同様に空気に優しく染み入るような足踏みオルガン風の音色も快感です。
筆者もまたゆったりとした深呼吸になり、脳内にはα波が満ちてつい癒されます。(#^.^#)


* * *


「筆者後記」


「反戦」や「平和」を悪用する輩、故郷に多く・・・。

「慰霊の日」に「平和の礎(いしじ)」を訪れた筆者の家族に署名を強要する大声・拡声器の集団あり・・・。

前知事時代以来、当日の恒例風景となり、当局によるお咎めなし。

慰霊の気持ち有るには到底見えず、我田引水プロパガンダに徹す。

表現の自由ある国になれたこと、なっていることへの感謝見えず。

彼らの多く何故か関西弁・・・。名を「プロ市民」と言う・・・。

故郷の海も地も、未だ波高し・・・。

人心もまた然り・・・。



神奈川県は引き続き「蔓延防止措置」に・・・。

一方の故郷は未だ「緊急事態宣言中」で・・・。

「ゴリ押し五輪」は矛盾お念仏 吹き出し中・・・。

「いやはや & なんともはや」の戦後76年・・・。


(冷や汗吹き出し中の)By T講師  (-_-;)


2021年6月13日日曜日

春は彼方、梅雨がもう目前に

日付的には、一週間ほどの遅れとなってしまいました。

関東地方、6月14日には「梅雨入り」となりました。


* * *


「ミュージック・ギャラリー(その436)」

「遅ればせながらの ”あいみょん” 登場」


以前より、ここ最近お気に入りのシンガー・ソングライターですが、当コーナーへのアップの時期を逸してきました。

初めて彼女の「マリーゴールド」を聞いた時、筆者告白すれば涙腺崩壊してしまいました(*ノωノ)。

送迎車キャラバン・コーチ(10名乗り)の唯一の音源のAM放送のNHKでその歌は流れ出しました。

小学校への迎えの時ゆえに、大きな空間にただ一人の筆者は誰はばかることなく涙を流しました。

車窓正面には緑の丘陵と丹沢連峰の山々が連なり、その上空には数種の雲々が広がっていました。

「いい年こいて」と筆者自身も思うも、その曲と眼前の素朴な風景と相まったのかもしれません。

その際、筆者の胸と脳裏に去来したのは筆者の青春時代の、昭和の感触だったような気がします。

それは視覚とは別の遠き過去の肌触りや生温かさや、決してクリーンだけではない匂い等でした。

車のビニール皮のシート、米軍払い下げのカーキ色毛布、冬服に染みつくナフタリン・・・。

赤ガス(有鉛ガソリン)、アセチレン・バーナーやマッチの燃える匂い、下水溝、お線香、汗の匂い。

「あいみょん」、素晴らしい感性世界の持ち主に出会った瞬間です。

耳や胸に温かくも懐かしい音楽世界が充満し、ザラッとした質感が、いつまでも筆者の脳裏に残留しては蘇ります。


好きな曲多数あれど、今回はこの3曲を・・・


AIMYON (あいみょん) - 「Marigold (マリーゴールド)」 (Lyrics Japanese | English),2018



あいみょん [裸の心] - 歌詞付き 2020年



あいみょん ~ ハルノヒ LYRICS AIMYON - HARUNOHI, 2019年



「いい歳こいて」と自虐するも、
でも歳、全然関係ないですね。
良いものは、直接心の奥底にまで直球で侵入して突き刺さってくるものです。
素晴らしい歌手に出会えて、良い曲に出会えて、幸せがまた大きく増えました。

(*^-^*)

* * *


By)T講師


2021年5月30日日曜日

お口直しは、大瀧詠一の名曲で

大好きな5月とも お別れ・・・

(編集がやっと終わりました。(´▽`) ホッ)


個人的な義憤の感情が契機となり、サボりにサボり続けていたブログが復活を果たすことができました。

でも2度に渡った個人的不満を更に続けるつもりは毛頭なく、今回はその口(耳)直しを試みてみました。

で今回、

筆者が選んだのは、当ブログでは初登場のJポップの草分けとも言える故・大瀧詠一氏の楽曲でした。

告白すれば・・・

実は筆者、70年代初頭の当時に台頭してきた「ニュー・ミュージック」と言うジャンルが嫌いでした。

60年代中頃から、若者を中心に市民権を得始めた自主的音楽のフォークやロックの息吹の洗礼を受け、

中学時代にその影響下でバンド活動を始め、やがて英米ロックに目覚めた者として嬉しくもありつつ、

ファン層増大に連れ商業的成功と共に自主性の手作り感が薄れ始めた潮流には反発を覚えたものです。

マスコミがカテゴライズしたその新しい音楽群は都会的なお洒落感に富み、筆者個人の生活には程遠く、

オキナワ発のロック・バンドらが在京音楽界の数々の妨害を受け衰退していった経緯もみてきただけに、

その商業的手法や潮流にはマーケティングやスタジオの匂いが色濃く感じられ、身丈以上の理想像に、

社会や既成概念への反骨こそ若者の特権と考えていた当時の筆者には、既成の芸能界へのすり寄りに映り、

じくじたる想いを抱えた(根性曲がりの根暗な)様々な偏見に断罪された地方出身の貧乏な若者と化し、

その明るく お洒落な都会的センスには反発しかなく、そんな仕掛けには乗ってやらないぞとばかりに、

それらの対極の泥臭さの充満した米国の黒人ブルースやハードバップ・ジャズ等にハマったものです。


前置き、随分と長くなりました (-_-;)。


そんな訳で、下に登場の楽曲の傾向も当時の筆者には受け入れがたく、ジャケット・イラストと共に、

素直に受け取って聴く状況にはありませんでした。今振り返ると随分と偏狭で恥ずかしい限りです。

しかし時が経ち、筆者の鋭角な角も取れ、素直な気持ちでいつしか受け入れられるようになりました。

そんなこの曲、

当時の時代の空気感が凝縮されていて、再生メディアもCDやMP3等のデジタルではなく、あくまでもアナログ音源で聴きたいもの。

しかもレコードの場合はハイファイ・ステレオでなくとも全然OKで、電蓄(今では死語、卓上プレーヤー)でシングル盤の雰囲気です。

BEST 10 等の最適な代表曲集もYouTube上にありますが、そのいずれもがブロックを施されていて、残念ながらコピペ不可でした。


そんな訳で、今回はブロック無しのオフィシャルでこの代表曲を・・・


「ミュージック・ギャラリー(その434」


 大滝詠一「君は天然色」Music Video (40th Anniversary Version)



「Tシャツに口紅」


後日、動画を追加しました。
コロナ蔓延の故郷沖縄の海の色がやけに眩しいですね。早く帰郷が果たせるように・・・

「ペパーミント・ブルー」



生意気な「上から目線」を承知で敢えて記すならば、当時の筆者の好きな在京バンドに「はっぴいえんど」がいました。
彼らの存在は東京ならではの特殊性があり、恵まれた音楽情報環境や豊かな経済性に裏打ちされた音楽性がありました。
彼らの短期間活動におけるレコードやライブの演奏やアレンジには、今聞いても素晴らしい感性や技術の発見があります。
でも前述したとおり、彼らもまた時代の潮流と並行して解散。
大瀧詠一氏が都会的ポップ感に溢れる数々の楽曲でCM界に重宝され、ドラムの松本隆氏は売れっ子作詞家に転身・・・。
ご存じ「ニューミュージック」界、ひいては我が国音楽界の頂点へと登りつめていきました。


後年、油の乗り切った映画界の重鎮が朗々と歌い上げた名曲です。
大瀧ワールドとのコラボには二重(意外性と完成度)の驚きでした。
動画後半には、大瀧詠一氏本人歌唱のバージョンも入っています。

「熱き心に」作詞:阿久 悠、作曲:大瀧詠一、歌唱:小林 旭

さらばシベリア鉄道 、恋するカレン、 幸せな結末
カナリア諸島にて 、雨のウエンズデイ 、夢で逢えたら 、 等々・・・

同世代シンガーの竹内まりや等と共通する米国50年代風ポップ感が秀逸です。
今聞いても色褪せることのない青春ソングの数々、YouTube上にてご堪能ください。
もちろん、彼の所属していた「はっぴいえんど」の名曲群も併せてご堪能ください。
60年代米国風のアーシーな秀逸エレクトリック&アコギ・サウンドが充満しています。
都会育ちな多少「お野菜」感も拭えませんが、その当時の音楽界を陵駕していました。
また、その独特な日本語による歌詞の世界も素晴らしく、日本語ロックの金字塔です。
鈴木茂、細野晴臣のミュージシャンシップもまた格別で、我が国を代表する音楽家です。

* * *


「筆者後記」


可愛らしいツバメ君たちが我が町にも還ってきました。

俊敏に滑空するその可憐な姿を見ているとつい嬉しくなり、運転に支障をきたすことになりそうです。

その小さな身体で何千キロもの大海原を渡り、我が町で巣作りに精を出す姿には大きな感動を覚えます。

復活を果たした当ブログ、長いブランクとコロナ禍の不要不急の自粛がたたり、訪問者も二ケタに満たず、

今ではしっかり忘れ去られた存在となってしまったようです (-_-;)。

その以前から、授業風景も結果としての作品も投稿不可だったので右肩下がりの傾向は仕方ありません。

YouTube上の音楽をお借りして、何とかかろうじてのページ作りをして、お茶濁しをしている訳ですから、

贅沢は言えるわけもありません。


訪問して下さった方々には、心より感謝したします _(._.)_。

またの投稿も頑張ります。どうぞよろしくお願いいたします。


By T講師(講師の肩書はもう不要?)


2021年5月16日日曜日

コロナ禍 沖縄、祖国復帰49周年

「 コロナ禍の沖縄、祝・祖国復帰49周年」


1972年5月、筆者の生まれ育った故郷が、めでたくも日本本土への祖国復帰を果たしました。

1945年4月の米軍(連合軍)上陸以来の長き軍政下の故郷に、国家の帰属が明確になりました。

以下に筆者高校時代の遠き昔のエピソードを少々。

パスポートを申請し、筆者は修学旅行に参加しました。発行者は" Ryukyu Government "とありました。

旅の最初に土を踏んだ鹿児島港ではそのパスポートに「日本国への入国を証する」とのスタンプが押され、

その長い修学旅行の20日後、帰路では逆に「日本国からの出国を証する」とのスタンプが押されたものです。

「俺は何処に育ち、何処に帰るのだろう?」高校生にして早くもアイデンティティーの損失を自覚しました。

その翌々年の5月、我が故郷が念願の祖国復帰を果たし、晴れて日本国籍となり査証無しの往来も可能となり、

米国式の右側通行が逆となり、貨幣もドルから円へと切り替わり、47番目の「県」へと生まれ変わりました。


あれから49年・・・。


以前にも当ブログ内「T講師コーナー」でも記しましたが、日本国憲法下での発展を遂げ、今日に至りました。

依然、故郷には広大な米軍基地が存在し、そこを起因に発生する様々な問題も決して消え去ってはいませんが、

その間、観光立県として確固たる地位を築き、驚異的数字のリピーターらの複数回来沖もあり、人気絶頂でした。

それは国内のみならず、近隣アジア諸国からの訪問も増え続け、一昨年迄のような活況を呈することが出来ました。

但し、それは一昨年・2019年までのこと・・・。

そんな故郷もまた国難とも言える「新型コロナ感染禍」の渦中にあり、観光立県を支える屋台骨も傾きつつあります。



そんな故郷沖縄の今年2021年、県内に目を向けると・・・、そこには不幸な状況に陥った人々が暮らしています。

何も基地があるからと言う訳ではなく、背負わされているとの積年の「刷りこみ」により、被害者意識が埋め込まれ、

本土復帰後、半世紀ほども経つにもかかわらず、未だ米軍基地の重圧で自らを不幸だと感じてしまっているのです。

地元の二大紙は相も変わらずの「反日・反米、親中・媚中」路線を堅持・拡散し、県民への世論操作を行っています。

大陸との関係も前知事時代譲りでその密度を年々増し、地方省との交流などを装って互いの行き来が増大してきました。

かくて二大左翼プロパガンダ紙に純粋培養された県民は、いつしか非論理的・近視眼的衆愚の民と化してしまいました。

この地元二大紙は、前知事時代より県政と表裏一体の蜜月を築き上げ、県政の多数の不祥事には目をつぶってきました。

この二大紙を世論操作の応援団とし、県知事・県政はわが物顔で大手を振って「オール沖縄」などと詐称するのです。

2021年の今日の沖縄・・・。

「高齢者層の多い故郷」の医療・病床はひっ迫の度合いを急激に増し、本日より「緊急事態宣言」の指定を受けました。

それ以前の「蔓延防止重点措置」の際にすら経済団体の反対を忖度し、酒類提供の自粛を要請しなかったとのことです。

これでは医療がひっ迫するのは当然で、酒類を供する場での感染リスク等、今更エビデンス云々を言わずとも明白です。

普段は目に余る反政府的施策に終始し、困った時だけ中央政府に泣きつく姿勢は、県外の筆者からは見苦しく映ります。

「是々非々」とでも開き直っているのか、困った時だけ政府に泣きついて、普段は反日反米の罵詈雑言の洪水を重ね、

国連にまで押しかけ、「差別」「人権無視」「非民主主義」だののたまわっている姿は、被害妄想の最たる極致です。

これではツートラック方式とか言って「反日」と「用日」を使い分けて恥じない近隣の集団ヒステリー国家と同類です。


「オール沖縄と称する政治団体・行政」及びその「支持者の県民の皆様」には非難されるとは想像しますが、

戦場の残り香の漂う米軍施政下の、そして進行形のベトナム戦争に島ぐるみで組み込まれていたオキナワ、

基本的人権の適用も受けられなかったオキナワに生まれ育ち、米軍人による数々の犯罪・事件も見聞きし、

パスポート片手に本土に渡り、そこで暮らすこと49年目を迎えた県外者の筆者が想いを馳せる今日の沖縄、

ダブル・スタンダードであったかもしれない「民主主義」と「人権」は、一体どこの誰からいただいたのか、

それは自らの手で勝ち得たのではなく、曲がりなりにも米国と祖国日本から与えられた「宝物」ではないのかと、

筆者は全ての県民に問いつつ、筆者自身はそう確信している今年・本土復帰49年目の「祖国復帰記念」の日です。


そして最後に、語弊・反発があるのを承知で敢えて記しますが・・・(但し確信犯です)。


今回のコロナ禍で、かの大陸に大きな依存をすれば危険だと言うことが多くの県民に知れ渡ったことだと思います。

今では遅すぎるかもしれませんが、「チャイ○マネーやハニー」に魂を売って虫食いだらけになった島々の隅々に、

今一度、たおやかな風が万人に吹き渡り、ニライカナイの彼方からやってきた「宝物」の重みと輝きに想いを馳せ、

過去から未来へと繫ぐ夕凪はその「宝物」を大切にして生きていくことこそ、唯一無二の道だと気づくことです。

目先のその真逆の「汚れた誘惑」に惑わされることなく、祖先たちから引き継いだ「伝統の情け」を繫ぎましょう。

今ならまだ間に合うのかもしれません。

そう強く願う49年目の5月です・・・。

めでたき5月15日。


T講師こと 当真 英樹


* * *


「ミュージック・ギャラリー(その433)」


今回のブログの内容に鑑み、典型的なステレオタイプ的 選曲を敢えて・・・。


『芭蕉布 ( Bashoufu )』 ☆ 夏川りみ "Rimi Natsukawa"


美しい旋律・歌詞・歌唱・伴奏・・・、こちらもまた宝です。


* * *


「筆者 後記」


高校時代の故郷の友人(恩人)から大量の果物が届きました。

5本のピーチ・パイナップルに20個余のパッション・フルーツ等々・・・・。

それに後日便で大量のオキナワならではのブルーシール・アイスクリームが・・・。

ありがたき贈り物に感謝です。


(例によって編集途中ながら)By T講師


2020年9月28日月曜日

気がつけば時移りて金木犀も

 月曜日(一体いつの?)、久々の快晴


すさまじき投稿遅れに、ただただ恥じ入るのみ・・・。

(;^ω^)


ここ最近、当ブログ投稿をサボりにサボっていましたところ・・・

故郷(くに)の古い友人から久々の連絡が入りました。彼は時々このコーナーにやってくる貴重な存在の1人。

「(余りにも投稿なしが続いたので)コロナで死んだかと思った。」と、悪い(でもリアルな)冗談を飛ばしました。

当・無料ブログのフォーマットが新しくなったついでに、過去のデータが消えてしまって意気消沈していた旨を告げ、

「これではいかん・・・」と自らを奮い立たせ、取りあえず今回の緊急(生きてるぜ)バージョンをお届けする次第です。



投稿チョー遅延のその間、身近な者が亡くなったり、あのエディ―・ヴァン・ヘイレンもまた亡くなったりで、

途中まで記した編集中の出来損ないが2~3あり、それは横に置いておいて次回以降に廻すことにしました。


「ミュージック・ギャラリー(その431)」

「気がつけば季節移りて、金木犀の香りも漂い(散り)」


季節が移り、秋もまた深まり始め、我が家の庭のキンモクセイも黄色い花を連ね、香しい香りを発散させました。

そんな季節、筆者の脳裏には遠き昔日に聴いた甘いコーラスのアンサンブルが静かにゆるやかに鳴り始めました。

暑すぎる日々続きに、今度は寒すぎる日々の今年の秋。ならば大好きなインスト音楽で秋らしい風情を堪能します。


パーシー・フェイス 楽団、「イエロー・デイズ」
YELLOW DAYS - Percy Faith Orchestra with Chorus


Lyrics

I do remember when the sunlight had a special kind of brightness
And laughter held a lover's kind of lightness, Yellow days, Golden days.

She would hold me and the smile would spread around us so completely
And the softness of a kiss would linger sweetly, Yellow days, Golden days.

But then came thunder and I heard her say "goodbye"
Through tears of wonder, Now I'm alone and my heart wants to know
Yellow days, where'd you go?

Life is empty and the sunlight seems so harsh instead of tender
And the laughter's just an echo I'll remember from Yellow days, Golden days.
Yellow days, Golden days.


カバー、続けます。美しいコーラス・アンサンブルの後にはピアノの調べで秋の風情を堪能しましょう。

キンモクセイの香りに加え、コーヒーや紅茶の香りもまた馥郁と香り出す季節でもあり、賞味しましょう。


エディ―・ヒギンズ(ピアノ・インスト)、「イエロー・デイズ」

Yellow Days - Eddie Higgins Solo Piano



幼き頃に初めて入門した音楽が往年の米国音楽でした。

しかも、それがオーケストラやメロディーが最も美しかった50~60年代初頭の頃・・・。

しかも、それらが流れ出て来る音源が真空管ラジオやデカいスピーカーのステレオ・・・。

甘く柔らかい旋律が満天星々の夜空に溶け込み、空と海に流れるサーチライトの光・・・。

夜香木や庭の花々から漂う胸を締め付ける様な匂い・香り。白熱電球の温かな橙色世界・・・。

おぼろげな影を映す蚊帳には、微かに沁み込んだ蚊取り線香の匂い・・・。

歳取ったせいか、断片的ながらも半世紀以上も前の記憶が鮮やかに蘇ってくる秋の日の今日この頃・・・。

そう言えば、キンモクセイの香りや黄色い花や、イチョウの黄色い葉の色もなかった濃カーキ色の世界でした。

美しく穏やかな「秋」も「四季」もあり、それらを堪能できる日々の暮らしに感謝です。


「故郷(くに)の友よ。俺はまだ死んじゃいないぞ。」

「お互いコロナ禍を生き延びて、故郷で会おうな!」


By T講師

( 故郷の高い感染者数を危惧する秋の日々です。)

(;^ω^)

_(._.)_


2020年9月21日月曜日

気がつけば年寄り、敬老の日😊

 月曜日・曇り

「敬老の日」


未完ながら、またまた恒例の尻切れ・未編集アップです。

<(_ _)>


相変わらずの投稿・大幅遅延・・・

加えて未編集状態にてのアップ・・・

何をか言わんや・・・

(;^ω^)



「敬老の日」・・・、いつも年配の方々の日だと認識しつつ、

そのスタンスで当ブログも進め、日々を歳月を重ねてきました。

でも、はたと気がつけば、いつしか筆者自身がその仲間入りを果たし。

この認識と現実とのズレに気づいた今年のこの祝日、いかに進めようものか?

何せ初めての自覚であり、今回はパス&スル―させていただくつもりです。

「めでたくもあり、また焦燥もありで・・・。」

(;^ω^)


* * *


「ミュージック・ギャラリー(その430)」

「輝くビートルズ・カバー・メドレー(20曲!)」


諺の「三つ子の魂百まで」ではありませんが、高齢者となった今でも大好きなビートルズ、

小学時代にモンキー・ダンスで覚え、中学時代にレコードで聴き、高校時代にバンドで演り、

大人になってその凄さに改めて驚き、ジャズやブルースを経た後でさえ、それは変わらず輝き、

老年となった今でさえ驚きや輝きは失われることなく、逆に更に彼らの魅力や深さを感じ取り、

今日の漲る活力となって日々の時空を彩り飾ってくれています。

今は同世代の仲間らとのバンド演奏からも既に遠のき、学童クラブの小学生らにバンドで教え、

少なからず、彼らの音楽のそれなりの中継者となっている現在の自分に多少は満足もしています。


こんな風に、彼らの音楽を楽しめたら人生は更に魅力的で素晴らしいものに。

コロナ感染禍の今、こんなにも日常が輝いていたことに改めて驚いています。


ワーク・オフ・ジ・アース、「ビートルズの歴史(物語)」メドレー

A History of The Beatles 1962-1970 - Walk Off The Earth ( Canada )


まず原曲群が素晴らしいのは当然ですが、彼らの音楽を楽しむその姿勢が羨ましいほど輝いています。
6名全員が芸(腕)達者ですが、最後の「ヘイ・ジュード」でのベースマンのラインが特に秀逸です。
理屈抜きのご機嫌な少人数セッションの典型と言っても過言ではない傑作動画です。
正に文字通りの「音楽」そのものです。

* * *


「お知らせ」

筆者後記の「敬老の日に寄せて」は未完につき、当ブログからは削除。「T講師コーナー」へと移動させました。


およそ2年にも渡る塩漬け状態の「T講師コーナー」が、今回の逃亡で久々再開です。

文章記述が完了次第、お知らせします。その際は、よろしければお立ち寄りください。


<(_ _)>


By T講師


2020年9月14日月曜日

気がつけば秋空、赤トンボ

月曜日(一体いつの?)・晴れ(夜 雨)

恥ずかしながら大幅な投稿時差あり。にもかかわらず・・・、

(いつものように、未完ながらとりあえずアップ。ご容赦。)

<(_ _)>

今夏の炎暑もどうにか少しずつ和らぎ、 中空には赤トンボたちの浮遊姿も増え出しました。

あんなに威勢を張っていた入道様も日々その姿を消しつつあり、代わりの柔らかな巻雲が静かにたゆたい始めました。



当ブログにて利用させていただいているグーグル・ソフトのフォーマットが新しくなり、今までのデータが胡散霧消してしまいました。

で、ガックリ😢

(他人のせいにするわけではありませんが・・・)ブロッグ・アップ熱もすっかり遠のいてしまっていました。

(;´д`)トホホ


でもここは気を取り直して、変わりゆく季節に相応しい音楽を久々にYouTubeよりお借りしてきました。

すっかり秋めいた薄曇りの光の中で、静かに(かつ元気に)飛び回る赤トンボたちのような新鮮音楽を。


* * *


「ミュージック・ギャラリー(その429)」

気がつけば秋空、赤トンボ


筆者の大好きな「カバー」にして「インストルメンタル」を奏でる「ストリート・ミュージシャン」。

そしてそれが才能と感性豊かな少女(現在・若干12歳!)。

赤トンボたちの健気な浮遊姿を想像しながら、そのナチュラル・質朴な詩情をお楽しみ下さい。


当初は、この下の動画らの中から2~3曲に絞ってアップしようと考えていたのですが、どの楽曲・演奏も捨て難く、

結局、数ある路上パフォーマンスの中から6曲だけ(!)を選び出してお借りしてきました。

「飽きちゃう」とか云わずに、好きな曲だけを選んででも聴いて(見て)楽しんで下さい。


カロリナ・プロチェンコ(バイオリン)によるストリート・パフォーマンス、カバー曲特集

「レット・イット・ビー」/ザ・ビートルズ

Let It Be - Beatles - Karolina Protsenko - Violin and Piano Cover


「ハレルヤ」/ レナード・コーエン

Hallelujah - People were AMAZED - Karolina Protsenko - Violin and Piano


*


「この素晴らしき世界」/ルイ・アームストロング

What A Wonderful World - Louis Armstrong - Karolina Protsenko - Violin Cover



「虹の彼方に」/ 元唄:ジュディー・ガーランド

Even the dog was AMAZED - Somewhere over the rainbow - Street performance




「美女と野獣」/ ディズニー映画テーマソング

Amazing Piano and Violin Cover - Mom and daughter - Beauty and the Beast



今回の最後の演奏は、
2020年の3月に投稿された動画です。と言うことは、アメリカでも「コロナ感染禍」が流行し出した頃です。
演奏やその撮影がいつ行われたかは定かではありませんが、観衆の服装からすると冬には違いありません。
今現在、世界で最も患者数・死者数の多いアメリカの人々の状況が危惧されます。

「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」/ セリーヌ・ディオン、映画「タイタニック」テーマソング

My Heart Will Go On - Celine Dion - Violin Cover by Karolina Protsenko



もはや「言葉」は要らないでしょう。

これらの動画で聴くことの出来る彼女の演奏、何だか心が洗われます。


ネットで軽く検索してみたところ、とんでもない子だと言うことが判明。

才女カロリナちゃん、6歳の時にウクライナからアメリカに移住。その後にバイオリンを弾き始めたとの事です。

YouTubeのチャンネル登録者も僅か2年間で430万人以上!それぞれの動画再生回数も半端な数字ではありません。

世界的危機の「新型コロナ感染禍」を乗り越えて、大きく羽ばたいてほしいものです。


* * *


つい先だってTV(NHKだったか?)の放送で、「赤トンボ」は何と上空4000メートル(!)まで上昇出来るとの事です。

あの小さな身体で・・・!


そう言えば、やっぱり可愛らしいツバメ君たちもまた、あの小さな体で太平洋の大海原を渡っていくのです。

元気に周囲を飛び回っていたツバメ君たち、つい先だってみんなで集合し、南の彼方へと去ってゆきました。

あの俊敏で可愛らしい姿が消え去ってしまった淋しい里や野にも、曼珠沙華らの赤い姿が現われ始めました。


あの暑すぎた「夏」を惜しみつつ、可愛い「ツバメ君たち」を見送りつつ、深まりゆく「秋」を迎える今日この頃。

「コロナ感染禍」も早々と立ち去ってもらいたいと願っています。


By T講師


2020年9月7日月曜日

残暑の日々に再びの残照ロック

月曜日・晴れ・日中は炎暑

「ミュージック・ギャラリー(428)」
「残暑の日々には再びの残照ロックを」


もう既に暦の上では秋九月とは言え、
相変わらずの炎暑が日々を彩っており、筆者の大好きな入道雲たちも未だ元気に輝き林立しています。
そんな青空下の白銀雲たちを見ていると、筆者どうしても若かりし頃の記憶にワープしてしまいます。
そこで、
前回の「残暑の夕べは妖艶ロックを聴け」特集に続いての第2弾としました。
筆者の個人的な自己満足で終始しますが、よろしければお付き合いください。

60年代後半~70年代中盤にかけて欧米を中心に大活躍したロック・バンドらの懐かしの楽曲群の登場です。
筆者もバンドにその情熱を傾け燃えに燃えていた時代で、楽曲イコール・バンドの図式が今も続行中です。


まずは今回のオープニング曲、やはり前回のオープニングを飾ったカナディアン・ロック・バンドからです。
前回の曲同様、高校時代にバンドでコピーに励み、折々のダンス・パーティーやコンサートで好評を得ました。

ゲス・フー、「ノー・タイム」

Guess Who ," No Time " (1970) with Lyrics



2曲目も彼らを続けます。
前回はリード・ギター・サウンドを中心に組んだので漏れてしまいましたが、今回は堂々の登場です。
胸のすくような軽快なテンポの基に歌われるソウルフルなフィーリングと間奏のフルートが快感です。
( スリリングな絶品フルートの演奏は,リード・ヴォーカルのバートン・カミングスによるものです。)

ゲス・フー、「アンダン」

Undun - The Guess Who - 1969 (w/lyrics)


この曲は後の70年代中盤以降のAOR的な雰囲気で、ロック一色の筆者らのレパートリーには加えられませんでした。
が、前回記したように故郷の海沿いのドライブのBGMには欠かせないものでした。


ラテン・ロックを世界的に知らしめたサンタナ、前回は2枚目のアルバムからでしたが、今回はデビュー盤からです。
今も語り継がれる伝説的な野外フェスに登場した彼らに触発されて、筆者らもラテン・パーカッションを勇んで導入。
基本が4名のギターバンドに他に更に3名を加えユニット化、コンサート等ではサンタナ・ナンバーに対応しました。
この曲もまた彼らのアルバム同様に、そのままメドレーで続けて次のパーカッション溢れる曲までコピーしたものです。
サンタナの妖艶なギター・プレイもさることながら、オルガン奏者グレッグ・ローリーの歌声もまた色気充分な存在です。

サンタナ、「シェイズ・オブ・タイム」

Santana, " Shades Of Time " (1969)


ボンゴにコンガ、カウベルにギロ、そしてティンバレスと、筆者らのバンドにラテン・パーカッションは増え続けました。
但し、レスリー・スピーカーを伴ったハモンド・オルガンだけは高価過ぎて入手できず。代用の国産品で補ったものです。
その当時でも超高価な楽器で、日本国内にも数台を数える程で、人気プロ・バンドの「紫」が2台も所有していました。

「後日追記:脱線よもやま話」

後年、上京後のTVで聞いた話ですが、ジャズ・オルガン奏者のジミー・スミスの初来日時にハモンドが国内には無く、
当時に唯一所有していたのが俳優の故・高島忠夫さんで、彼の来日コンサート時にずっと貸し出したそうです。
その当時、ハモンドはとても高価な庶民の手には届かないシロモノで、1台で家1軒分の価格だったそう!!。



前回特集にこそ登場しませんでしたが、筆者のバンド繋がりでは絶対に避けては通れないギター・バンドです。
トリオと言う最小限の楽器編成でワイルドな演奏とアクションを展開した米国ならではのマッチョ・バンドです。
このへヴィーなミディアム・シャッフルが堪らなく快感で、筆者ら大のお気に入りで最も得意なナンバーでした。
筆者らのバンドは4人編成(2ギター)で、彼らのスタジオ録音ダビング・パートをしっかり再現していました。

グランドファンク・レイルロード、「ミスター・リムジン・ドライバー」

Grand Funk Railroad / Mr. Limousine Driver


半世紀ほど経った今でさえ、血が騒ぎ胸躍ってしまいます。
!(^^)!


彼らもまた2曲続けます。
こちらは2枚目のアルバムからで、ワイルドさを少々抜き、リリカルなアレンジを加えて妙味です。
この曲もまた筆者らの得意ナンバーの一つで、周囲のファン(!?)たちからの支持も多かったものです。
彼らの楽曲、筆者らのバンドでもその多くをレパートリーにし、自分たちで演っていても快感でした。
後半のシンセサイザー・パートのオブリはエレキのボリューム奏法で何とか再現に漕ぎ着けました。
実際は、故郷の先輩プロ・バンドのキャナビスは糸数ガンジーさんの奏法を見て、倣ったものです。
筆者らも大好きだった雄大な海を感じることの出来るビッグでワイドなスケール感ある傑作曲です。

グランドファンク・レイルロード、「クローサー・トゥ・ホーム」

Grand Funk Railroad - I'm Your Captain/Closer To Home




原曲はノーベル文学賞まで授与されてしまった反骨のシンガー・ソングライターのボブ・ディランの作品です。
他にジ三・ヘンドリックスによるカバーも名演で、筆者らのバンドでは両者編曲を共にコピーしていました。
甲乙つけ難いロックの歴史に残る名演奏です。

デイブ・メイソン、「邦題:見張塔よりずっと」

 Dave Mason , "All Along the Watchtower -" (1974) w/ lyrics





もしかしてこのコーナー、初登場かもしれません。
ボストンがデビューした70年代中頃、筆者は本土暮らしにも慣れ、代わりにロック・バンド・ライフを捨てた頃です。
時折に帰る故郷の先輩バンドらはそれなりに健在。元気にロックを演奏し、相変わらず米兵達の人気を得ていました。
故郷の多くのバンドが彼らの楽曲をレパートリー化、野外フェスや歓楽街でそのツイン・リードを響かせていました。
このツイン・リード・サウンド、故郷の海辺の野外コンサートの夜に聴くと、南の星空に溶け込んで極上快感でした。

ボストン、「モア・ザン・フィーリング」

BOSTON - MORE THAN A FEELING - Subtitulos Español & Inglés




最後に、前回特集でも紹介のイギリス出身のホワイト・ブルース・バンドの中期の傑作アルバムの中からもう1曲。
一流ミュージシャンならではの貫禄と迫力が快感で堪りません。特にピーター・ヘイコックのギターが秀逸です。

クライマックス・ブルース・バンド、「トゥゲザー・アンド・フリー」

Climax Blues Band - Together And Free | Lyrics - Sub ( Español - Inglés)



シンセ等の電子楽器が主流を占めるような昨今の音楽界、上に登場するようなライブ感あるバンドらも稀有な存在です。
スタジオ録音とは言え、ライブな演奏が基本の音作りには音楽家の生で裸の魂が色濃く刻まれているような気がします。
上のボストンのアルバムなど、そのジャケットに「ノー・シンセサイザー・ユーズ」とわざわざコメントしていました。

この異常な夏の暑さにも、様々な電気製品がその対応をしてくれていて、快適な日々を送ることが出来ています。が、
青空・陽光の下、汗を拭き拭きしつつ聴く熱~い「ロック音楽」もまたマゾヒスティックな納涼の一種かもしれません。
「エアコン」や「冷やし中華」や「冷そうめん」らも確かに涼しい夏の賢い過ごし方には違いありませんが・・・、
人生の夏をとっくに過ごしてきた筆者にとっては、暑い(熱い)夏こそ、生きていることの証しにも感じてしまい、
今更ながらに今年のこの猛暑・炎暑の夏に、過ぎ去った若かりし頃に体験した動物的生々しさを再確認しました。

「エバーグリーン」なぞ幻想かもしれません。
しかしながら「ロック音楽」を聴く時、それは妄想となって筆者の心身を確実に襲ってくれています。老体となった今もなお・・・。
「残照ロック、バンザイ!!!」

By (熱い夏が嬉しい)T講師

(#^.^#)

* * *

「後日追記:故郷・南島のロック・バンド思い出話」

筆者の高校時代のロック・バンド、勉強もろくにせず熱中していたもので、レパートリーも数多くにのぼりました。
そのレパートリーは勉強とは反比例してどんどん増えて(中学時代からも含め)優に4~50曲は下りませんでした。
クリーム、ツェッぺリン、フリー、テンイヤーズ・アフターらや、ビートルズ、ストーンズ等のブリティッシュ勢、
グランド・ファンク、C.C.R、アイアン・バタフライ、J・エアプレイン、サンタナ等のアメリカ勢らのコピーに励み、
多数あったセミ・プロ・バンドらとの共催コンサートや各大学のダンス・パーティーや学園祭等にも出演しました。

そんな時、観客の中には米兵や軍属家族の高校生らもおり、半端な英語歌詞ではブーイングも貰ったりもしました。
おかげでボーカル担当のK君など歌詞憶えに必死で、ノートにはヒヤリングで聞き取ったカタカナがビッシリでした。
リード・ギターのI君も難曲のコピーに日々必死で、彼にレコードを貸すと盤表面が傷だらけで戻ってきたものです。
練習時にも全力プレーが当然で、硬いピックが数個も摩耗・又は焦げたもので、太い弦も何本も切っていました。
そんなパワフルな粘りビートを演奏の肝にしていた筆者のバンドのおかげで、上京後に経験の本土勢の演奏に失望、
幾度も足を運んだ有名プロバンドらのひ弱さビートレスに、早々に「燃え尽き症候群」に陥ってしまったものです。
東京でも何組かのバンドに参加するも、彼らの頭でっかちで硬くてひ弱な演奏スタイルには溶け込めませんでした。
貸しスタジオや機材等に恵まれ、高価なドラムやベースを使用・演奏してもビートが出せず、筆者には不思議でした。

オキナワのバンド勢数組もデビューするも、地元でのサウンドが再現できずに故郷に戻ったり解散していきました。
あれから半世紀、幾多のバンドがデビューし人気を博し今日に至るも、未だ筆者を満足させるに足るバンドに遭えず、
若き日の「耳年増」のまま、「ロック・バンド・サウンド損失」のまま、今日 立派な老年を迎えるに至りました。

時折帰る故郷の南島にて相変わらずの演奏を繰り広げる熟年のロックバンドも減っていき、亡くなる方も増えました。
筆者らや彼らの輝く演奏は、もはや筆者の記憶の中にしか存在しないものとして、ただ共に消えゆくのを待つのみです。
「歯がゆさ」の中、半面で故郷・南島のロック・バンドの面々とその演奏に出会えたことは、筆者の自慢の宝物です。
そして明日をも知れぬ運命の若き米兵らをあんなにも狂喜乱舞させた彼らを誇りにも思うコロナ感染禍の今日この頃です。
そんな彼らも感染罹患することなく、余生を幸せに全うできるよう、遠く離れた本土から祈るばかりです。大々感謝です。

* * *

「祝・学童クラブ・バンド、再始動」

今春早々・目下のコロナ感染禍で中断を余儀なくされていた学童バンドが、どうにかこうにか再始動の運びに。
前回のクリスマス・コンサートの中心的メンバーこそ、保護者らの在宅勤務等で去っていってしまいましたが、
上級生(女子のみ四名)を中心に、何とか練習を再開することができました。
(但し新編成メンバーのカラーがお嬢様・優等生タイプなので、結構パワー不足ではありますが・・・。)
発表の目途こそ未だ確定ならずとも、状況さえ許せば年末クリスマスあたりに演奏会が出来ればと希望しています。
遅くとも、卒業する前には何とかお披露目を演りたいと目論んでいます。
その際にも、国内でよくありがちなテクニック優先よりは、筆者の故郷系統の表現力パワーで攻めたいと願っています。
が、果たして・・・。

(*^^)v